2006年の4月から2007年の3月まで月1枚の割で12ヶ月を描き終わりました。
2006年の4月、ヴェニスの「嘆きの橋」でスタートし、今年の3月、奇しくも同じくヴェニスの「小さな橋」で終わりましたが、「橋」に始まり「橋」に終わったイタリアシリーズでした。
正にあっという間の12ヶ月でしたが終わってみれば ”あれも描きたい此れも描きたい”と言ったことばかりでイタリアという国が如何に絵の題材として沢山満ち溢れている事か、改めて判りました。
此の他、描こうと思っていたのは「ヴェニス終着駅、サンタルチャ駅」「水浸しのサンマルコ広場」「ガラス細工のおじさん」「ヴェネチャ料理」などなど、特にイタリア独特の陽気なレストランの雰囲気や名もない街角なども考えていましたがあまり有名でない私的な所を描いたのでは「ナンダコリャ、公共の場を勝手に使いおって!」と、何処からかお叱りの言葉が出るやも知れず、別の機会に譲りました。
多くの皆様から沢山の御高評、励ましの言葉を頂いた事、此処で厚くお礼申し上げます。


Venezia 「嘆きの橋」

久し振りに行ってきましたイタリアのスケッチの中から先ず最初は皆さんご存知の「ヴェニス、嘆きの橋」にしました。

ホントはそのかみの囚人がこの世の最後の景色を見る橋なのでもっと重厚なドラマチックな色にすべきだったでしょうが

旅のウキウキした気分が勝ってこんなド派手な色になってしまいました。

Firenze 「ベッキオ橋」

アルノ川に架かるフィレンツェで最も美しい橋です。2階はメディチ家の蒐集によるルネッサンスの名画が

左側にあるビッティ宮殿まで延々と連なっているヴァザーリ回廊です。この橋を上流と下流から描きましたが

やはり此の絵のとおり上流からの方が好きです。

Roma 「フォロロマーノ」

                                        此のアングルはコロッセオの2階からフォロロマーノをスケッチしたもので、1月の快晴の中に崩壊

寸前の建造物が内壁を見せながら佇んでいます。左隅にティトウス帝の凱旋門を描き加えました

Roma 「サンタンジェロ城」 

ヴァチカン宮殿から丁度1km東にあり、テベレ川を前にした2世紀の城です。内部は城本来の

猛々しい守りの機能を持った強固な造りだが外観はご覧のように真円の優美な建造物で、

古代ローマ時代の完成度の高さを改めて見せつけられました

Firenze 「大聖堂」

フィレンツエを代表する15世紀完成のランドマークタワーです。駅前のヴァリオーニ・ホテル(昔の貴族

院庁舎)で朝食に案内された時、此の大聖堂が同じ高さで、すぐ目の前に迫って来たのには驚きでした

Roma 「コロッセオ」

閉門1時間前に入場し、急いで場内を廻りましたが丁度、西陽が最上階の修復部分に当たっていて、

そこだけがぽっかりと光っていました。崩壊した中にも構成の見事さにしばし圧倒されました。

Venezia 「伯爵夫人」 

サンマルコ寺院の左側から入った日本人観光客相手のお店で見つけた伯爵夫人の仮面です。

「リュドミラ」とあったので後で調べたらF.カステリ作「女たちの反乱」に出てくる主人公でした。

勇ましい女傑とは言え、社交界へのデヴュー時はこんなにも可愛かったのかなと思って描いてみました。

Venezia 「ヴァポレットとリアルト橋」

ヴァポレット・・・ヴェニスを巡る便利な水上バスです。10分おきに来るので回数券(72時間有効券)を買い、

一日乗り回しました。此の絵は大運河の中央付近にあるリアルト橋とヴァポレットを合成して描いたものです。

Milano 「サンタ.マリア.デレグラツィエ」

ミラノ中央駅から南西約2Kmにあるレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」で有名な教会です。

昭和42年に来たときは北側の壁面が連合軍の空爆で吹っ飛び、「最後の晩餐」のある部屋は

一部青空が見える荒れ果てた状態でした。37年ぶりに来た今回は建物も立派に復元され、

絵そのものも見事に修復されていました。

Roma 「バチカン寺院の尖塔基部」

バチカン寺院尖塔の頂上まで上りつめ、ローマ市内を遠望した後、また螺旋階段を降りて来て

ようやく外部に出た所が此の絵の場所です。コリント様式の柱頭がカトリック総本山の権威を

 いやがうえにも象徴しているのがうかがい知れます。

Firenze 「フィレンツェ駅構内」

フィレンツェ中央駅(サンタ・マリア・ノヴェッラ駅)の5,6番プラットホームです。大きな駅の割には

レール止めが何とものどかな古色蒼然たる代物であるのには驚きました。

Venezia 「小さな橋」

とうとう最後もヴェニスの「橋」になってしまいました。「嘆きの橋」のずーっと後方にある小さな橋で、

人待ち顔の案内人がのんびりと佇んでいて如何にも此れが”ヴェニス”と言った風景でした。